ジャズ喫茶ベイシー40周年記念 LIVE AT BASIE PROJECT

Live at BASIE Projectに寄せて 特別寄稿 山口 孝

 ジャズファンから「伝説のジャズ喫茶」と呼ばれ、オーディオファンからは「聖地」とさえ讃えられるスポットがある。
 岩手県一関市、ジャズ喫茶「ベイシー」のことである。
 とりわけ、ハイエンドのオーディオファンは、全国津々浦々からまるで巡礼者のように集まり、そして散っていく。ここ20年、その列は絶えることはなく、近年、音楽誌やオーディオ誌に限らず、「ベイシー」の名に出会うことは、さほど困難なことではない。

 2006年秋、「ベイシー」のJBL・オーディオ・システムの素晴しさを象徴するような出来事があった。オーディオ100年の歴史の中で、ウエスタン・エレクトリック以来の伝統の本流である、オーディオ・メーカーJBLが、60周年モデルとしてDD66000、エベレストを世界規模で発表した。それは、まさに21世紀オーディオのフラッグシップ、誕生した瞬間からすでに伝説たりえる程の完成度を誇る銘機である。日本では、東京の帝国ホテルに日本の音楽、音響関係のほとんどが、JBLからは、社長、設計家、デザイナーのトップ一同が会し、ビック・レセプションが行なわれた。
 そして、つとに噂の「ベイシー」を訪ねてみたいと、JBL首脳陣全員がみちのくに足を運んだのである。結果は、すでに日本中のオーディオファイルも御存知の通り、想像を超える彼等の驚きと賛嘆に終始する。それは、我々オーディオファイルにとっては、痛快さを突き抜けた後の静かなる感動であった。
 何よりもJBLのトップが驚嘆したことは、40年前の古いJBLシステムと21世紀の最高度、最先端のテクノロジーを駆使し、JBLの威信をかけて取り組んだエベレストの音が、まったくの共通のコンセプトのもと、まるで昨日生まれたばかりの如くの、新鮮で非常に音楽的な音を再現したことである。店主菅原正二氏のローテクで構築されたJBLと、ハイテクで創られたJBLサウンドの見事な等質性の一致は、JBLのプロ集団ならずとも、オーディオファイルに、世界一のオーディオ・スポットの感を強くした。

 そして、全国のジャズファンが、最初に「ベイシー」を意識した出来事は、1980年代、スイングジャーナル誌に、大きな赤いリンゴに“Basie”と白く浮き彫りにされた「ベイシー・リンゴ」を手に微笑えむ、カウント・ベイシーの表紙であった。カウント・ベイシー・オーケストラをみちのくへと、県民一丸となって実現させたそのジャズへの愛故に、日本中のジャズファンは、その核にあったジャズ喫茶「ベイシー」に当時、羨望のまなざしと同時に感動を憶えたものである。
 そして、デューク・エリトンと並ぶジャズ史上最も偉大なカウント・ベイシー・オーケストラは、世界中にそのファン・クラブ、熱烈なファンが存在し、勿論日本にも、ファン組織があり交歓を持つ人も多いが、ベイシー本人から直接、ニックネームを授かったのは、「ベイシー」店主、スウィフティ・菅原以外いないのではないか。
 菅原氏の米国本場の多くのジャズメンとの交流は、すでにファンの知る所であるが、特に、巨人エルビン・ジョーンズとのその最期までのそれは、つとに有名である。毎年暮、東京に乗り込む前に、「ベイシー」でライブを敢行したのである。私には、2000年のミレニアム、12月31日から1月1日の世紀の変り目、外は深閑として凍てつき、内は熱狂の渦に燃え上がる、深夜のエルビン・ジョーンズのジャズマシーンのライブ、それは、永遠なるものの具現として、生涯の憶い出となった。

 しかし、何故「ベイシー」は、多くの音楽家、人が集まり例外なく最高の演奏が生まれ、感動の場となるのか。その答は、私には、実にシンプルである。この百年を越える土蔵で、毎日40年間、40万枚以上のLPが再生され続けていること、そして、幾多のジャズ・プレイヤーが、魂をおいていったからに他ならない。つまり、このジャズ・スポットは、音霊の棲家なのである。それも、ギッシリつまった。
 「ベイシー」は異郷なのである。東京からもニューヨークからも等距離の。中央に対し、みちのく平泉に藤原京があったが如く、世界の異郷なのである。いや、一関市にあっても異郷なのである。この「ベイシー」という異界は、今日もその不滅なる音の魂、音霊の満つるところとして、音楽を愛する、哀しき子羊達を、決して裏切ることのない聖地なのである。

 そして、2009年夏、「ベイシー」は40周年を迎えるに、記念イベントを企画したのだ。それが、この「LIVE AT BASIE PROJECT」である。それは、今や生きる伝説、ハンク・ジョーンズを中心としたカルテットによるジャムセッションである。選ばれた、60名の聴衆を前に繰り広げられるギグを、究極のアナログ録音と最高の録音チームによってライブ・レコーディングするのである。また、一昨年来、一枚20万円という価格ながら、ドイツ・グラモフォンの名録音、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルによる、ベートーベンの第9番が、その驚異の音クオリティーを持って、クラシックファン、オーディオファンに大変な注目を集めた、クリスタル・ディスク、ガラスCDで、限定、「スウィフティー88・レーベル」の記念ライブ盤を作成しようというのである。
 何という素晴しい話ではないか。
 永遠不朽のイメージへと誘う、クリスタル・ディスクに刻まれる40年の歴史を生きた「ベイシー」。それは、「ベイシー」を愛し誇りにおもう全ての人の「宝物」となるであろう。

 ジャムセッションの主役は、勿論、奇跡のピアニスト、ハンク・ジョーンズである。21世紀の今日、全ジャズ史を俯瞰した現存する超一流のジャズプレイヤー最後の一人といっていい。8月の本番時には、91歳になっている巨匠、ただの老匠ではない。ハンクを奇跡というのは、齢91という前置きなしに、今なほ進化し続け、孫の齢程の若き俊英と共に最高のプレイを魅せ、毎年コンスタントに世界中でCDをリリースしているからである。 ハンクの輝しい経歴と盤歴は、ジャズファンには既知のことであるが、そのマジック・タッチ故の「ピアノの神様」、その深い音楽の造詣故の「ミスター・スタンダード」という称号への敬愛は、全ジャズメン、ジャズファンの一致する所である。ハンク・ジョーンズの偉大さは、ジャズ史を二分したスイング・ジャズとモダン・ジャズの両方の巨人達から愛され評価されたことである。ハンクの初来日は、1957年キング・オブ・スイング、ベニー・グッドマンのオーケストラであり、同時期、新しいジャズのシンボルにして、史上最高の即興演奏家チャーリー・パーカーのピアニストでもあった。しかし、私は、ハンクの最大の楽歴は、1957年から1975年まで、コロンビアのスタッフ・ミュージシャン時代であると信じている。コロンビアのスタッフ・ミュージシャンとは、全音楽家にとって望みうる、ニューヨークで就ける最高のポストであり、憧れということである。勿論、俸給も名誉も、音楽性においても。黒人としてという前置きなしに、当時すでに最高の音楽家として評価されていたのである。日夜フルタイムのスタジオ・ワークは、ジャズに限らずポップからクラシックまで、最高のピアノと音楽を提供せねばならぬ、日々真剣なるチャレンジの苛酷、されど、本物の充実した経験の場でもあったに違いない。そんな、ハンク故に、あの有名な故ケネディ大統領の誕生日に、人気の頂点にあったマリリン・モンローが歌う「ハピー・バースディ・ツゥ・ユー」のピアノ伴奏を務めるという伝説的事件も、当然の如く生まれたのである。このスタッフ・ミュージシャンという20年弱に及ぶ実績と経験を、音楽家としての絶頂期40代、50代に持ったというようなジャズメンは、ハンク以外にいない。

 そして、1976年58歳の時、世界的視野を持った伊藤八十八氏がプロデュースするイースト・ウィンド・レーベルから、あのマイルス・ディヴィスのニュー・オール・アメリカン・リズムセクションの最強にして最もクリエイティブな二人、トニー・ウィリアムスとロン・カーターと組んで、ニューヨークのジャズの聖地「ヴィレッジ・バンガード」でのライブ盤で再デビューし、大きな話題となる。古いジャズファンには、伝説のジャズマンの復活であり、新しいジャズファンは、古いワインをニューボトルで味わう絶妙さに驚喜した。以来、ハンクの人気は今日まで、衰えを知らない。

 ハンク・ジョーンズの音楽の魅力とは何か。ハンクのジャズは、目も眩むようなテクニックやエネルギーで、聴く者を圧倒するようなものでも、あるいは、政治的・哲学的なイメージを持って、人の心に強く訴えかけていくようなものでもない。さらに普通のジャズファンが持つジャズのイメージからも遠い位に、むしろ控え目であり、己を前面に打ち出し主張することを潔しとしない。そして、その音楽はまさに、自分の妹に語りかけるように、解り易くスムースで優しい。また、時に、その高雅で気品に満ちたタッチは、老いた自分の母親に話しかけるような、慈愛に満ちたまなざしの祈りにも似た音楽なのである。ハンクが、この浮沈の激しいジャズ界にあって、不動の地位を保ち続ける秘密は、実は、そこにあるのではないかと思うのである。その源は、スタッフ・ミュージシャン時代に培ったことは言を待たない。

 そして、何よりも重要なジャズの定理がある。
 それは、「愛情を持って尽くす人なしには、ジャズは存在できない」ということである。ジャズの聖地「ベイシー」の真の美しさは、この愛情を持って尽くす人菅原正二氏そのものの魂のことである。このプロジェクトのプロデューサー、菅原氏と伊藤八十八氏こそ、それ故に世界中のジャズメンから「スウィフティー」と慕われ、世界的ジャズ・プロデューサーとして敬われるのである。

 この二人の音楽とジャズへの献身は、どれ程の多くのジャズファン、オーディオファンに恩恵と幸せをもたらしたか。それは、彼等の仕事が全てを語っている。いまや、オーディオのバイブルとされる「ジャズ喫茶ベイシーの選択」、そして、深く尽きることのない音楽とオーディオと人生のエッセイ「聴く鏡」、この2冊は、今や全てのジャズオーディオファイルの座右の名著であろう。そして、伊藤氏若き日のイースト・ウィンド・レーベルの偉業、ソニー・ミュージック時代の世界的作品群、また特筆すべき、時代を世界をリードする2002年に興こしたエイティ・エイツ・レーベルの高品位高音質のSACD作品群、それは今まさに、未来に夢を継ぐ尊く重要な仕事である。

 この最強タッグがプロデュースする企画が悪い訳がないではないか。リヴィング・レジェンド、ハンク・ジョーンズ、聖地「ベイシー」、そして温く見守り応援する観客、全てが完璧に整った千載一偶にして、一期一会のセッション、それが、このプロジェクトである。

 連夜のライブは、無論、企画したプロデューサー二人、スタッフ、そしてその聴衆だけのものではない。多くの「ベイシー」に思いを寄せるサイレント・マジョリティーのものでもある。その熱く優しく、友愛に溢れた本物のジャズの感動を約束するライブの時を、永遠のディスク、クリスタルCDに封印するのである。

 この高価なガラスCD(カラヤン盤)を先日、試聴させて頂いた。
 菅原・伊藤両氏が激賞、認可した通り、別世界を想わせる素晴しいクオリティーであった。それは、鳴らし手の耳の良さ、聴き手の想像力、そして手兵のオーディオの再生能力が高ければ高い程、ヴィヴィットに反応し、その感度とスピード感は、素が名録音名演奏であればある程、その可能性は無限であると知った。まさに永遠のディスクである。

 記念すべきイベントの忘れがたい生涯の想い出として、200年後にさえ朽ちることのない音楽を、クリスタル・ディスクで残すことの意義は深く大きい。

山口 孝

文筆家
1952東京生まれ
10代をクラシック・ギタリスト、20代をジャズ・ピアニストとして過す。
1994文筆家、写真家としてスタート
1999写真集「FIRENZE45」(行路社)を上梓
2004単行本「ジャズオーディオ・ウエイク・アップ」(誠文堂新光社)
2007随筆集「音の匙」
現在、講演、音楽評論、エッセイが日々の仕事となっている。